今年もあと5日、本当にお世話になりました。来年も変わりませずよろしくお願いします。
今日で今年のブログ更新は終了。来年からの再スタートです。HPにも載せましたが、1月の行事予定と12月号の校報です。
今年もあと5日、本当にお世話になりました。来年も変わりませずよろしくお願いします。
今日で今年のブログ更新は終了。来年からの再スタートです。HPにも載せましたが、1月の行事予定と12月号の校報です。
病院へ行き、少々遅れて参加した子も来ました。全員出席での2学期終業式。本当にいろんなことがありましたね。体操大会、連合音楽会、上津っ子集会・・・日々の学習。それぞれの場での様々な学びを通して、子どもたちも大いに成長した2学期でした。
式に先立って、県読書感想文、造形展の表彰。子どもたちがそれぞれの個性を発揮して活動した成果が形となっていますね。
編集者の式の挨拶はいつも同じ「自分を大切に」。そのために「仲間を大切に」「自分を伸ばす」「規則正しい生活」の自己評価をするのですが、赴任した時には何と自己評価が低い子たちだろうと思ったのですが、今では自分を客観的に肯定的にとらえ、4や5の子が多くなりました。それが一番うれしいことですね。
後半部分は正月の話。年神様を迎えること、鏡餅の事、書き初めの事・・日本の大切な文化についてお話をしました。
ところで、クリスマスは何の日かを正確に分かっていたのは、わずか4~5名。幼稚園と一緒で「サンタさんがやって来て、プレゼントをもらう日」だそうです。
校報を持って帰ります。通知表もですが、関係する配布物を一緒に読んでいただき、事故や怪我の無い楽しいお正月をお迎えください。本年もありがとうございました。来年もかわりませず、よろしくお願いします。
週末から今日にかけて、季節が後戻りしたかのような良い天気ですね。この時期になると山陰さん山陽さんを実感しますので、こうした天気は貴重。家にいれば、布団も干したいところです。
城平山もご覧のとおり鮮やか。何でも阿宮の方により登山道が整備されたとか、ぜひ、また行ってみたいところです。朝の自学、それぞれの学級でそれぞれに行っています。
さてさて、編集者は出雲の国散策とか言って、土日にはテクテク歩いています。昨日は神立橋渡り、万九千神社からのからさで大橋経由して7キロ程度。ところで、万九千神社と同じ境内には立虫神社があるのですが、これは、もともと斐伊川の中州、中島にあったものが流れを変えるほどの大洪水により、寛永10年(1670年)に遷宮されたもの。
中島といえば、上津も関係があります。天保8年(1837年)の宗門改帳によると人口364人、神門郡上之郷と出雲郡下阿宮の間のいくつかの島で構成されていたと記されています。これは2年生も地域探検で学んだことです。
寒くなってきましたね。山間部では今シーズン初の雪予報。また、あの通勤困難な雪道の季節かと思うと辛いですね。子どもの頃は雪が降るのが楽しみでしたのに。
さてさて編集者は幼稚園長も兼務していまして、昨日はその定例会。ここでは市の人口状況が毎回示されるます。細かな数字は市のHPで参考にしてもらえれば良いのですが、今、出雲市の人口は175,000人強。これは、平成26年4月末と比較すると約500人の増。県内唯一の人口増の市町村です。ところが、増えたのは外国籍の方で1,000人の増の3,000人の方が住んでおられます。全人口の1.7%ですね。ますます他民族共生社会の施策が求められる出雲市です。
今月の歌や詩を元気に歌ったり暗唱する子どもたち。この子たちが社会を動かすようになる頃は、もっともっとグローバル社会となっていることでしょうね。
寒い雨の朝です。今日位ならそうでもないのですが、強い雨の日は定期バスが遅れます。これは、高校生が家の車で送ってもらうために、普段より渋滞が発生するのが原因とか。
学校には扁額やら絵画やら石碑等たくさんの寄贈していただいたものがあります。一つの学校の歴史です。ところが、それがいつどんな理由でだれによって寄贈されたものなのか不明なものがあります。沿革史や当時の校報調べても分かりません。
母校に勤務する編集者の努めてとして、聞き取りやら調査して分かった事をまとめ、ラミネートして校長室に掲示してます。このブログでも紹介した立志の石碑やら、若槻禮次郎書の「修忠言」などがそうです。学校にいらしたときにはぜひご覧ください。まだまだ調査対象があります。
今日は人権に関しての公開授業がありました。全学級、友達や相手を大切にする学習を行いました。
授業後は人権研修会、社会福祉協議会から川上さん、春日さんに来ていただき、「仲間外れの無い地域づくり」をテーマにお話しやらグループ討議を行いました。保護者の方ばかりでなく、同推協の方、学校運営理事の方、たくさんの方に参加していただき、心地よい地域づくりをつくるにはどうしたらよいのか、それぞれの立場で学びました。
グループ討議はそれこそ3世代での「仲間外れのない地域をつくるにはどうすればいいのか」を真剣討議。川上さんも春日さんも研修会後言っておられましたが、世代を超えてこんなに真剣に話し合っていただき感動したと。
ほんとうに嬉しい一日となりました。
市から各学校へ樹木管理費としていただいている予算では十分な事ができません。昨年はこのために体育館周りのカイヅカイブキを予算で剪定してもらうよう、不必要?な体育館西側を撤去しました。今年は幼稚園の予算と合わせて大きくなりすぎている幼稚園園庭をさっぱりしようと考えています。ですので、小学校の樹木はできるだけ、自分たちで。編集者が切り落とした枝を校務員さんと事務さんが手伝って枝木のごみとして出せるようにしてくれています。
元気に子どもたちがやってきました。森坂の班、やや早いです。10分前に来ていますので、調整の方をよろしくお願いします。子どもたちには指導をします。
明日は授業公開、人権研修会があります。地域の方にも参加していただくとになっています。ご案内の通り、14時から公開授業、15時から人権研修会です。1年から4年は15時10分に下校、5・6年は研修会参加後の16時30分下校となります。
今日はなんだか子どもの朝の挨拶がいつもより元気。いいですねえ。基本は挨拶。お互いに気持ちよくなります。ところで、ふと南門を見ると二宮金次郎像と石碑。なんだか、急に気になって見に行くと、二宮金次郎像は「贈 昭和56年10月 金山工業社長退官記念 金山利雄」とあります。この方は分かります。立志と刻まれた石碑には「昭和41年10月8日 改築記念 船津町菅原出身 梶田幸治」とありました。梶田さん?聞いたことの無い苗字だがなあと、いろいろ調べても分かりません。
こんな時には上津の生き字引、元公民館長の曽田一富さんに聞けば良いという事で電話かけるけど不在。たぶんあそこだろうろうとコミセン前の畑に。おられました、そして詳細まで教えていただきました。梶田さんは大阪の判事をされた方で、以前のポケットパーク、今の高速道路が上津土手上を通っているあたりに家があった方。子どもの教育が一番と学校に本を寄贈されたりして、以前の図書室には梶田文庫なるものもあったそうです。その方の寄贈。
さらに、一富さん、二宮金次郎像はもともと嘉本昇さんが桜が丘校舎に寄贈されたものだけど、戦時中のことで、軍に引き上げられたそうで、その時の事を赤いタスキか何かで見送ったと。新校舎になり、金次郎像が無いといけないということで、金山利雄さんが寄贈されたとか。何か、聞いているうちに感動してきましたよ。でも、またまた不思議な事が。編集者である私が在籍してたころも二宮金次郎像がありました。あれは、どこへ?